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「表現の不自由展・その後」

表現の不自由展top

芸術と自由は藝術である。


愛知で開かれている国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」での企画「表現の不自由展・その後」。
各地の美術館から撤去された二十数点を展示。

戦争慰安婦を表現した少女像が、美術館に展示されていた芸術作品とは思えないけど、なんか騒がしい。

これを「芸術」だと言うのは自由です。

しかし、この展示をSNSで拡散禁止にしてる時点で表現の自由もクソもない上、あっさり撤去らしい。

慰安婦像の会場での設置は表現としては良いと思うけど、なんかフェアじゃないよね。
こういう政治モノはめんどくさいんだよ。
個展じゃない場合、政治プロパガンダを防ぐために公平性が重要。
像自体に圧倒的な芸術性が乏しいのだから。
どうせなら慰安婦像とライダイハン像を並べるとかの配慮が必要。
でもそんなの ださい よね。

歴史と政府と性暴力に依る事実認識があってこそ普遍性が出せるのに、慰安婦像だけだと政治的なポジショニングメッセージが勝ってしまう。

無茶な例を出すと、9.11 NY世界貿易センタービルテロ。
ツインタワーに2機の飛行機が突っ込んだ写真には、説明もつかないパワーがある。
良し悪しは抜きで、単に芸術作品の視点で見れば、アナーキーで邪悪な美とすら感じる。

原爆きのこ雲も同様です。

翻って、大体あの像自体に芸術を見れるか?

主催者側がそうしなかったのは、この騒動自体も、実は「芸術作品」の一部に過ぎないとふんでるところ。
つまり、どう考えても騒動ありきの想定内インスタレーションなのだから、撤去では主催者及び作家としての覚悟が足りないでしょ。
主催者側こそ、観覧者がどのように受け止めるかの自由を制限してます。
提示側も享受側もどっちも不自由です。

だから揉めていい。

極言すれば、揉めてこその作品。
批判は折込済みの見え透いた陳腐な作為に見えてしまう。

インスタレーション (英語: Installation art)
1970年代以降一般化した、絵画・彫刻・映像・写真などと並ぶ現代美術における表現手法・ジャンルの一つ。
ある特定の室内や屋外などにオブジェや装置を置いて、作家の意向に沿って空間を構成し変化・異化させ、場所や空間全体を作品として体験させる芸術。
Wikipedia より引用



触れること容認されてるらしいから、この手のインスタレーション作品には観覧者があれこれ自由に付け足して表現には表現で対抗すればよい、脅迫などせずに。
それでこそ、完成。

その意味では、これは芸術の範疇にない。
単なる政治プロパガンダに安く落ちついてしまっています。


作品と謳うのであれば、志がとても低い。
主催者及び作家としてリスクをとってるのだろうか。
中止にしないで、覚悟して戦うべきだ。

芸術をなめるな。

表出されたもの自体に絶対の価値があるのではなく、それによって価値が美的変換されるものを芸術と呼ぶ。
と、個人的に強く思う。

2019年8月 NETにて観覧


ヘンな顔のペアこけし

ヘン頭のこけし ヘン頭のこけし 後
顔形のおかしなペアです。
なぜこの不自由極まりない形にしたのかナゾですが、なんか造形的に美しい。



表現の不自由展date

PENTAX Q-S1
01 STANDARD PRIME 8.5mm (35mm換算値 39mm) F1.9
1/1.7型CMOS 12.7 megapixels
adobe PHOTOSHOP 5.5


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